家内、西島佑実のサイトです。こころはなひらくセッションなどのご案内をいたしております。
Story
〜システム屋の見る宇宙〜
気学は天文学です。自然の事象を研究・分析し今起きている現象の裏側、すなわち原因をつきとめ、対処し、見えている問題を解決する…これが九星気学の問題へのアプローチです。
裏側にある問題を分析する、つまり重要なのは因果の因ともいえる「裏にあるものだ(裏なり)」という考え方。ここからこの、「裏なり」がいつしか「うらない」となり「占い」となったわけです。
そこには一定の根拠があり、霊感や単なる未来予測とは異なるものになりますので、九星気学の鑑定においていわゆるスピリチュアル的な要素は廃城してゆきます。「鑑定に霊感は用いない」という原則もあったりします。
これが気学の考え方ですが、今回これはさておいて、私の持つ宇宙観も少しお話ししてみたいと思います。
さて、時々講座でもお話ししますが、いわゆる天・神という存在、特に神。
少し考えてみていただきたいのですが、皆さんは何をもって「神」を「神」だと定義するのでしょうか。
きっとその完璧性・万能性・無限性・大きな愛などをもって神を神と称すると思います。
それならば、という話です。
神は怒るものなのでしょうか?
怒るというリアクションは、ある意味傷つけられた、傷つけられそうなのでこれに対する防御であると思いますが、完璧なものは傷つくのでしょうか。
人間の想像を超えて完璧であるがゆえに神なわけですが、完璧というのであれば傷つくことはないように思います。
であれば、神は怒るとうのは少し考えづらいですね。
一方、世間では、人間は未完成・完璧ではない、だから問題があるという言い方もあります。
本当にそうでしょうか。
少し話が逸れますが、システムや製品の開発において「仕様」という言葉がございます。
これは、「そのシステムや製品がこう動くように作りますよ」という定義です。図面に起こすと設計図になると言えるでしょうか。
神が人間の仕様を決め、設計図を作って人間を作ったとしましょう。
完璧なものから出てくるのは完璧なもの以外ないはずです。だって、完璧なのですから。
ヒトにはじまり、この地球上の生物は完璧に創られているはずです。
少なくとも神は怒ることをしない、のであれば、神の属性はどういうものがのこっているのでしょうか。
私は愛とか優しさとかそういったものなのだと思います。
更に、神というものが無限であるのなら、この宇宙全ては神と考えても良いのだろう、ならば、宇宙は、優しいのではないか。
そして、その宇宙における大きな命の流れ、ここでは九星に例えてそれを語りますが、それは私たちにとってプラスになる要因でしかないのではないかと思うのです。
ならばこそ、それに気づける気学を皆さんに知ってもらいたいと思うわけです。
これが、「気学Style」の物語です。